英国紅茶専門店ロンドンティールーム 忠魂録

忠魂録  現代表記

本籍地 兵庫縣 加西郡 北條町 宮西

官等級 陸軍大尉

氏名  金川 泰二

一、略歴

昭和十九年五月十六日  臨時招集ノ為鳥取中部第四十七部隊ニ應召
同年   五月十七日  歩兵第百二十一聯隊ニ轉属ノ為屯營出發
同年   五月二十日  下関出發
同年   五月三十一日 比島マニラ港上陸
同年   六月八日   マニラ港出発

昭和十九年  六月二十日  馬來昭南港上陸
同年     七月三十日  昭南出発
同年     七月三十一日 馬來泰國境通過
同年     八月三十日  泰緬國境通過
同年     九月三日   緬甸蘭貢着
同年     九月二十七日 在「ラムレ」島歩兵第百三十一聯隊着
              同日第二大隊附

自 同年   九月二十八日 「キャクピュー」縣ニ在リテ
至 昭和二十年二月二十一日 「完」作戰ニ参加
昭和二十年  二月二十一日 「キャクピュー」縣「ラムレ」島「セピヤ」ニ於テ戰死」

二、進級及命課

昭和十九年 九月二十七日 命歩兵第百二十一聯隊第二大隊附
昭和二十年 二月二十一日 任陸軍大尉

三、功績


第一期 輸送業務


昭和十九年五月十六日 臨時召集ノ為 歩兵第百二十一聯隊補充隊ニ應召
同月十七日歩兵第百二十一聯隊ニ轉属ノ為屯充隊ニ應召
同月二十日下関港ヲ出發シ 敵潜水艦ノ跳梁愈々激化ノ一途に在リテ 危険ナル 状況下 
對潜監視長ニ或ハ船内日直將校等繁劇ナル諸勤務ニ精勵スルコト一ヶ月
危惧サレシ長距離ノ海上輸送モ無事昭南島に到着
次イデ七月三十日 昭南出発
陸路 緬甸ニ向ヘリ 馬來―泰―緬甸ノ鉄道輸送ハ敵機ノ爆撃
頻繁ニシテ之ガ輸送ハ最モ困難ナル状況ナリシガ
列車不適箇所ハ徒歩ニ依リ峻嶮ナル山道ヲ突破
幾多ノ危険ヲ克服シテ 九月三日「ラングーン」到着
當時「ビルマ」西海岸警備ノ任ニアリシ聯隊ニ追及スベク
休養ノ暇ナク大「アラカン」山系ヲ突破
九月二十七日「ラムレ」島聯隊本部ニ到着セリ
斯ノ如ク最悪條件下 
長途ノ海陸輸送ニ方々大尉ハ常ニ率先先頭ニ立ッテ之等輸送業務ニ精勵シ
輸送指揮官ヲシテ其ノ任務完遂ニ遺憾ナカラシメタル功績甚大ナリ


第二期 警備


九月二十七日聯隊到着ト共ニ第二大隊附ヲ命ゼラレ
「ラムレ」島ノ要衝西海岸防備に任ジアリシ大隊本部に追及セリ
當時大隊ハ敵ノ上陸ニ備ヘテ海岸地帶ノ防禦陣地構築ニ専念シアリシガ部隊ノ装備劣悪ニシテ
對戰車戰闘資材皆無ノ状態ナルヲ以テ
十月中旬各大隊ニ歩兵作業隊(小隊編成)ノ編成ヲ見ルニ至リ
大尉(當時中尉)ハ其ノ最適任者トシテ該小隊長ヲ命ゼラレルヤ
連日之ガ編成ニ着手貧弱ナル資材ト僅少ナル兵力ナルニ拘ハラズ
明晰ナル頭腦ト優秀ナル技術ヲ以テ
日夜研究ニ努メ應用資材ニ依ル各種新兵器ヲ考案シテ實驗シ有効ナルモノニ
就イテハ直ニ部下ヲ訓練熟達セシメテ此レガ使用ニ遺憾ナカラシメ
聯隊随一ノ優秀ナル作業小隊タラシメテ大隊長ヨリ賞讃セラレタリ
又第一線各隊ハ一般陣地ノ構築ニ専念シアリテ對戰車陣地ヲ構築スルノ暇ナキ状態ナルモ
一度敵上陸スルヤ優勢ナル戰車ノ出現スルハ必定ナルニ鑑ミ大隊長ニ意見ヲ具申シテ
専門的見地ヨリ自隊ニ於テ之ガ構築ヲ担任シテ 
重点地点ニ對スル對戰車攻撃陣地ノ完成ニ努ムル一方
其ノ餘暇ヲ利用シ肉薄攻撃班教育教官トシテ各隊ヨリ選抜セル肉攻要員ノ教育ヲ實施スル等
万般ニ亘ル諸業務ヲ常ニ積極的ニ遂行シ大隊長輔佐ノ任ヲ完ウセル功績ハ實ニ偉大ナリ


第三期 戰闘


斯シテ我守備隊ハ満ヲ持シ敵來攻ヲ今ヤ遅シト待機シアリシ處
昭和三十年一月二十一日 拂暁空母一ヲ基幹トスル二十六隻ヨリ成ル艦隊、
約百機ヨリスル戰爆連合ノ大空軍掩護ノ下ニ英印第二十六師團「ラムレ」島北端
「キャクピュー」ニ上陸スルヤ陸海空ノ緊密ナル協同ニ依ル立体的戰法ヲ以テ、
千名ニ満タザル兵力 装備劣悪ナル我ガ守備隊ヲ一擧ニ破摧スベク戰車ヲ先頭ニ猛攻シ來ルヲ
守備隊ハ寡兵克ク敢闘 各所ニ邀撃
其ノ都度甚大ナル損害ヲ與ヘツ、勇戰シアリシモ戰車飛行機皆無ニシテ加之火砲少キ為
戰車ノ跳梁ニハ唯肉薄攻撃ヲ以テスルノミニシテ如何トモ為難キ状況ナル時
作業小隊ノ活躍ハ此ノ時ナリト自ラ一ヶ分隊ヲ指揮シテ
「ザンション」附近海岸道ニ進出熾烈ナル砲火ヲ冐シ
夜暗ニ乗ジテ戰車必通地点ニ戰車地雷ヲ敷設シテ同地ニ待機
翌朝 進攻シ來ル先頭ノM4戰車一輌ヲ爆破シテ敵戰車群ヲ混乱ニ陷ラシメ
爾後通過容易ナル路上ノ行進ヲ避クルノ止ムナキニ至ラシメ
其ノ行動ヲ制肘シ歩兵戰闘ヲ最モ有利ニ導キタリ
然レ共壓倒的優勢ナル敵ハ逐次其ノ地歩ヲ占メ
二月三日 守備隊ノ堅固ニ守備シアル「クワソン」北方高地帯ニ進出セル戰車十輌ハ
我陣前ニ近迫歩戰砲飛一体トナリテ猛攻シ來リ激戰數日
守備隊中央ノ重要地点タル前田山、加藤山(何レモ防諜上ノ隠語)
両陣地ハ筆舌ニ盡シ得ザル戰況トナリ
四月前田少尉戰死シ 五日亦小隊長タリシ森谷曹長戰死スルヤ
金川小隊同高地死守ヲ命ゼラレ殘余ノ兵力ヲ併セ指揮シ一日五囘ニ亘ル敵ノ猛攻ヲ
自ラ考案セル爆藥投擲機ノ威力ヲ発揚シテ此ノ衆敵ヲ撃退スルコト三度
右手ニ受傷シツツモ隻腕以テ同高地ヲ死守シ危険ニ頻シタル大隊ノ戰闘ヲ有利ニ導キ
次デ「ラムレ」北方五〇九高地ニ轉進邀撃戰闘ニ移ルヤ
斬込隊長トシテ「ラムレ」街附近ニ在リテ猛威ヲ振ヒアリシ二十五封度砲陣地ニ對シ
果敢ナル斬込ヲ實施シテ砲ニ門ヲ破壊陣地変換ノ止ムナキニ至ラシムル等
再度ニ亘リ抜群ニシテ殊勲ノ功ヲ樹テリ


四、大尉最後ノ状況


守備隊ハ寡兵克ク善戰シ敵大型輸送船一撃、沈駆逐艦ニ撃沈破 砲艦一撃破 
戰車五擱挫、撃墜機四遺棄死体約三千ノ大戰果ヲ擧ゲタルモ
既ニ敵船隊ハ「ラムレ」「セピヤ」「ミンガン」ノ諸水路河口ニ
駆逐艦 砲艦數隻ヲ配置シテ守備隊ノ大陸轉進ヲ完封シ
且轉進ノ為蒐集シアリシ民船ハ銃砲爆撃ノ為全部破壞セラレアリテ
舟ニ依ル轉進ハ不能ナルヲ以テ「ミンガンクリーク」ヲ泳渡スルニ決シ
同日没ノ期シテ行動ヲ開始シ「マングローブ」湿地帯ヲ通過
敵艦艇ヲ避ケニ十四時守備隊一齊ニ渡河ヲ決行セシガ艦艇ニ発見セラレ
猛烈ナル集注火ヲ受ケ大隊長ハ河中ニ於テ壮烈ナル戰死ヲ遂ゲ
一部ハ辛ウジテ渡河セルモ主力ハ遂ニ渡河スル能ハズ
再ビ「ヤンテヂー」西方高地ニ集結 爾後ノ行動ヲ畫策中
砲ヲ有スル優勢ナル敵ノ包囲攻撃ヲ受クルニ及ブ
茲ニ於テ 金川大尉ハ新タニ編組セル新一中隊長トシテ
重要方面ヲ守備シアリシガ部下ヲ叱咤激勵自ラ兵器ヲ執リテ
此ノ敵ヲ猛射シ或ハ右左ニ兵力ヲ移動セシメテ
應戰ニ努メ撃退セシコト數囘ニ及ベリ
然レ共兵力寡少ナルヲ知ル敵ハ頑強執拗ニ肉薄シ来リ
遂ニ弾丸盡キ如何トモナシ得ザル状況ニ至ルヤ
率先陣頭ニ立ッテ果敢ナル突撃ヲ敢行シテ
部隊ノ戰闘ヲ有利ナラシムル等 奇策縦横 勇戰奮闘シアリシ處敵ハ
二十五封度砲及迫撃砲ヲ以テ同高地ニ集注射撃ヲ實施シ来リ
我方死傷者續出セルモ大尉ハ嚴然トシテ動カズ
一兵ニ至ルモ此處ヲ離ルベカラズト怒號シツツ奮戰中
大尉ノ近側ニ落下セル砲彈ノ破片ハ
大尉ノ左胸背部ヲ貫通天命ノ来ルヲ知ルヤ東方ヲ拝シ
天皇陛下ノ萬歳ヲ三唱シツツ壮烈ナル戰死ヲ遂ゲタリ
時ニ二月二十一日十九時三十分ナリキ


五、金川泰二君ノ想出


君ハ性闊達豪放磊落ニシテ明朗ナル一方
熱心着實研究心最モ旺盛ニシテ明晰ナル頭腦ト優秀ナル技術ヲ有シ
應用資材ヲ以テスル各種對戦車資材ヲ作成スルコト數種ニ及ビタルヲ見ルモ
如何ニ優秀ナリシカヲ窺視得ベク又上長ニ仕フルニ礼ヲ失セズ 
下ニ對スル慈愛ヲ以テシ同僚ニ交ハルニ信ヲ忘レズ
隨ッテ上下ノ信望最モ厚ク眞ニ典型的武人ナリキ
作業小隊長ヲ命ゼラルルヤ寝食ヲ忘レテ研鑽努力以テ聯隊隨一ノ名ヲナサシメ
敵戰車出現スルヤ自ラ地雷ヲ敷設シテM4戰車ヲ擱挫セシメ
斬込隊長トシテ任ニ就クヤ 勇敢ナル行動ニ依リ砲ニ門ヲ破壞スル等
其ノ都度大隊長ヨリ賞讃セラレタルモ謙遜シテ尚其ノ働足ラザルヲ主張シテ
一層ノ努力ヲ誓フ態度ハ常人ノ以テ範トスル崇高ナル青年將校ニシテ
日常ノ起居又嚴ニシテ率先垂範以テ部下ヲ指導シ且又部隊ニ益スル所ナリセバ
進ンデ隊長ニ意見ヲ具申シテ裁決ヲ仰グ等 隊長輔佐ニ遺憾ナキヲ期シタリ 
又酒ハ大好物ニシテ一日ノ業務ヲ終ヘ其ノ勞ヲ慰ス為椰子ノ葉蔭ニ赤陽ヲ眺メツツ
杯ヲ傾ケタル事屢々ナリシモ決シテ度ヲ過スコトナク
百藥ノ長ト稱シテ、毒トナス者多キヲ君ハ眞ニ百藥ノ長タラシメタル 
又以テ唯軍人ノミナラズ多クノ世人ノ學ブベキトコロナリ
敍上ノ如ク万事ニ優レシ有為ノ君「ベンガル」ノ孤島「ラムレ」ノ一角ニ
帝國ノ必勝ヲ信ジツツ散華 再ビ帰リ来ラズ
然ルニ戰局我ニ利アラズ 
悠久三千年ノ光輝アル歴史ニ汚点ヲ殘シテ悲シキ終幕ヲ告グ 
我等何ヲ以テカ英靈ニ謝センヤ 
然リト雖モ 君ノ忠勇義烈ハ燦然トシテ祖國復興ノ礎石トシテ未来永劫ニ輝カン

(第二大隊副官タリシ陸軍大尉 清水 稔 記)

附 録


 感 状

  第五十四師團 同配属部隊


右ハ昭和二十年一月以降四閲月ノ久シキニ亘リ
「タマンド」地帶「ラムレ」島及「タンガップ」地区ニ於テ
約二ヶ師團ヲ下ラザル英印軍及西門軍ノ水陸ヨリスル廣正面ノ進攻ニ對シ
堅忍不抜攻防奇正ノ手段ヲ畫シテ之ヲ撃摧シ多大ノ出血ヲ強要シツツ
克ク「アラカン」以西ノ用域ヲ確保スルト共ニ優勢ナル敵ヲ同方面ニ抑留シ以テ
軍全般ノ作戰ヲ著ルシク有利ナラシメタリ
「アランミョウ」附近ニ向フ轉進作戰ニ方リテハ四周ヨリ來攻スル敵ヲ
隨所ニ撃摧シツツ師團主力ヲ「カマ」附近ニ於テ的確ニ掌握シ
敵空軍ノ制壓下優勢ナル機械化兵團ノ攻撃ニ屈セズ極メテ困難ナル状況ノ下ニ
「イラワヂ」河ノ渡河ヲ敢行シ更ニ敵線ヲ突破シ不敗ノ矜持ヲ保持シツツ
克ク師團全力ヲ「ペグー」山系内ニ集結セリ
右ハ師團長ノ至域剛毅ニシテ卓越且堅實ナル統率ト
隷指揮下諸隊ノ所命必遂及敢闘精神ノ致セル所ニシテ其ノ武功抜群ナリ

 依テ茲ニ感状ヲ授與ス

 昭和二十年七月五日

              正四位
第二十八軍司令官 陸軍中將 勲一等 櫻井省三
              功三級