Tea Story 読めばきっと好きになる紅茶のお話

2021.02.16

故 荒木安正先生を偲んで―

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目次

第一章:1月に逝去された荒木安正先生

1月18日。紅茶に関する数々の書籍も執筆され、日本紅茶協会ひいては日本の紅茶業界を長らく牽引してこられた荒木安正先生が逝去されました。

私自身、ロンドンティールーム立ち上げ以前からたいへんお世話になったことから、突然の訃報に接し哀惜の念に堪えません。
生前のご功績・ご功労を偲ぶと共に、この記事で荒木先生との想い出を記して追悼とさせて頂きたいと思います。

第二章:荒木先生との出会い

荒木先生との最初の出会いは1970年代後半。
私が「ティーハウス・ムジカ」で働いていた時に、ムジカのマスターである堀江さんを通じて初めてお会いしました。
その時の荒木先生は、リプトンの日本代理店であるリプトンジャパン株式会社のマーケティング部長としてご活躍されておられ、私も名刺を頂戴したことをよく覚えています。
その時の名刺は今でも大切に保管しています。

左がリプトンジャパン株式会社時代の荒木安正先生の名刺。その隣が、株式会社須藤の須藤仁一氏の名刺です。
荒木先生からのご縁でご紹介された時に頂いた名刺です。
株式会社須藤は「リプトン」の紅茶を日本で製造した会社であり、また日本で初めてティーバッグを作った会社です。

その後、荒木先生は日本紅茶協会の顧問として更に尽力され、私が「英国紅茶専門店ロンドンティールーム」を立ち上げた後に英国関連のレセプションで幾度かお会いするご縁でありました。

第三章:荒木先生による「紅茶専門店」の定義

荒木先生が執筆された書籍の中に、私の店作りの上での軸となったバイブル「紅茶技術講座」があります。
荒木先生によって、日本において初めて紅茶専門店としての専門的な定義付けがされました。
発行は昭和55年。紅茶が注目されはじめ、紅茶専門店も各地で増え始めてきた頃です。

この書籍は紅茶専門店の開業を目標とする人にとって必携品の、いわば教科書となる存在です。
紅茶のプロを志す人には是非とも持っていただきたい一冊です。

荒木先生は著書中で紅茶専門店について以下のように定義しています。

『紅茶に関する全ての専門知識と、良心的商品提供のためのノウハウをもち、顧客に対して、正確な情報(サービス)を提供し得る店』と定義している。若しも、これらの条件を満たしえない場合は、『紅茶専門店』の看板は掲げてはならないのである。

「紅茶技術講座Ⅱ」p177-p178より引用

私に「海外の有名ブランドをそっくりそのままコピーして店作りをしたような紅茶の店は”紅茶専門店”と名乗るべきではない」いう話をしてくれたことがありました。
専門店と看板に上げるからには店の中身に実体が伴っているべきだというのが根底にお有りだったのです。
この、伴うべき実体というのは、紅茶への向き合い方だと私は解釈しています。

著書中でも、店作りの主体となるのは美味しい紅茶と紅茶に関する正確な情報をお客様に提供することであり、目先の流行に飛びついた変わり種のメニューや、演出などの雰囲気重視な店作りは、あくまで商品の附加価値を高めるための手段としてのみに留めるべきだと説いています。

第四章:荒木先生による「紅茶専門店の展開の仕方」の定義

荒木先生は広義の紅茶専門店の展開の方向として、大きく分けて3つとなるだろうとしています。

  1. 通人向けサロン化展開
    紅茶オンリーの高度な趣味嗜好追及の型
  2. 生活密着型の専門店化展開
    紅茶オンリーもしくは売上高の大半が紅茶である、顧客の嗜好や知識のレベルに合わせた型
    「本格的で、良心的なティーの提供」と「家庭での正式な紅茶の普及啓蒙」をあわせて行っている。
  3. コーヒーのサブ・メニュー型で、将来の紅茶専門店化展開
    最も現実的であり、かつリスクの少ない移行の型

「紅茶技術講座Ⅱ」p180-p181より引用

更に、紅茶専門店のスタイルとして最もお手本に適しているのは「ティーハウス・ムジカ」であると定義しています。

「ティーハウス・ムジカ」のオーナーである堀江さんは、並外れた紅茶への愛情と研究心を持ってして、先代が経営していたコーヒー主体の喫茶店「ティーサロン・ムジカ」から紅茶専門店への移行を成功された実績があります。
また、「戦後の紅茶文化のパイオニア(紅茶技術講座Ⅱ p185より引用)」として、様々な取り組み・研究・メニュー開発を行い、知識・技術・経験を喫茶のプロ達に指導し、家庭での紅茶の普及活動も行う等、一般消費者に対する紅茶の関心をより高めるための活動をされてきました。
いうなれば、「2.生活密着型の専門店化展開」と「3.コーヒーのサブ・メニュー型で、将来の紅茶専門店化展開」のハイブリッド型が「ティーハウス・ムジカ」であったのです 。

そうして、紅茶専門店の草分け的存在であると共に最高位である「ティーハウス・ムジカ」に感化を受けてレベルの向上をしてきた店が続々と出店され、より全国に広がりつつありました。

第五章:日本では実現不可能とされた「通人向けサロン化展開」

本書中に定義はされつつも殆ど言及されていないのが、「通人向けサロン化展開」です 。

あくまでも紅茶オンリーの、高度な趣味嗜好追及の型。長い将来は別としても、当面は経営採算に決してのらない。しかも、原材料としての趣味の茶の安定入手が不可能である。実例なし。

「紅茶技術講座Ⅱ」p180より引用

と書かれています。
趣味嗜好追及型とは、たとえばイギリスの文化である「アフタヌーンティー」などの、趣味に向けた紅茶を追求した紅茶専門店を展開するいわば高級ホテルのサロンのようなスタイルの店のことを指します。


▲リッツロンドンでアフタヌーンティーを楽しんだ時にもらったメニュー表。

「実例なし」と書かれているように、イギリスのホテルのようなサロンスタイルをそのまま猿真似のように持ってきても、日本に根付かせることは実質不可能とされてきました。採算が合わないからです。

考えられる理由は以下です。

  • 高級サロンスタイルにはスペースが必要なため坪数が要る
  • 調度品など初期投資がかかる
  • 一般的な喫茶店と比較してゆったりとした席の配置にするためにスペースのロスが出る
  • コーヒーと違い、紅茶は飲みたいと思う頻度が少ない人が大半
  • 紅茶専門店は敷居が高いイメージが先行しがち

日本での定着が難しい要因の一つが、日常生活における紅茶の浸透率の低さです。
当時の風潮としてコーヒー店は日常的に利用するのに対し、紅茶の店には月に一度程度の利用。この頻度であっても「紅茶専門店によく行く人である」という認識でした。
コーヒーと比較すると紅茶は「たまのご褒美」や「非日常感」扱いで、ライフスタイルの中への定着化にはなかなか至らなかったのです。
コーヒーでは成功した経営スタイルが紅茶だと難しいのはこのあたりも要因の一つになるのではないでしょうか。

また、利益を確保するためには一見客もリピーター客も毎日しっかりと獲得する事が必要不可欠ですが、現実としてなかなか難しい側面があります。
人通りが多い道であれば集客が容易いかといえばそれは大きな誤りで、通りがかりの店にぶらっと入るかといえば通り過ぎる人の方が大半でしょう。

まず1点目に紅茶専門店は敷居が高く見えがちであるという点です。
紅茶に詳しくないと入店してはいけないのではないかというイメージがコーヒー専門店と比較しても顕著にあり、一見客がなかなか入りづらく新規顧客を獲得するのに一苦労する店舗も多くありました。

もう1点目は、値段設定が高いためリピーターを作りづらいという点です。
高級サロンスタイルを維持するためには、投資やテナント料を回収するためにどうしても単価を高くせざるを得ません。
しかし、喫茶に1,000円以上かけるという文化が日本には根付いておらず、ホテルであれば納得する値段設定でも個人経営の路面店であればまず躊躇されてしまいます。
高級サロンスタイルの紅茶専門店となると物珍しさや話題作りに一度は行ってみようとなっても、リピーターになってくれるのはそのうちの数パーセント。そのリピーターも年に何度か来店してくれたら良い方です。
インターネットもない時代なので口コミで広がらなければ新規顧客獲得にも繋がらず、雰囲気重視で味が伴っていない店はコーヒー・紅茶の店問わず廃業に追い込まれていました。

また、来店客数の多い百貨店であっても高級サロンスタイルをとった紅茶専門店の成功例は極僅かで、どれだけ評価が高い店であっても結局は撤退を余儀なくされているという状況が、日本での「通人向けサロン化展開」の難しさを物語っています。

第六章:誰も成しえなかった「通人向けサロン化展開」への挑戦

そこで私は、荒木先生が実現不可能とした「通人向けサロン化展開」に敢えて挑戦しました。
そこには「ティーハウス・ムジカ」と並び称される店になりたいという展望と、誰も成しえなかったからこそ自分の手で実現したいという気持ちがあったからです。

当時、紅茶専門店の定義としてスリランカまたはインドの紅茶原産国を主にした店作りが主流でした。
もちろんイギリスの著名な紅茶パッカーをメニューに取り入れている喫茶店もあるにはありましたが、紅茶専門店の定義からは外れていたのです。
当時イギリスの紅茶は、生産国からイギリスに輸入・加工されて商社を通して百貨店でパッケージ販売されているものしかなく、業務用紅茶の取り扱いなどありませんでした。
そのため、イギリスの紅茶パッカーをメニューに取り扱っていた喫茶店は「百貨店で売られているパッケージ紅茶をそのまま出してるだけの店」として低く見られてしまいがちだったのです。

ムジカと肩を並べるには、同じ土俵で勝負しても敵うわけがない。
そこで、日本における英国紅茶のイメージを変えて第3の紅茶専門店のスタイルとして新たに英国紅茶専門店を確立させようと舵を切ったのが、ロンドンティールームのスタートです。
私が英国紅茶にシフトした当時に「英国紅茶の店」として運営されていたのは、「トワイニング」の正規輸入総代理店である片岡物産(株)が直営していた赤坂の「サンジョルジュ」のみであったと記憶しています。

様々な準備を経て、煉瓦造りが印象的なビル「ドウジマアイビーツインズビル」でロンドンティールームを立ち上げ、「英国紅茶専門店」という看板を掲げました。
誰も成しえなかったことを成し遂げるためには、看板の名に恥じぬよう英国との結びつきを実体として持つ必要があると考え、地固めをするために、

  • 店舗のロゴマークとして、ロンドン市紋章の特別使用承認
  • 英国老舗銀メーカー「Mappin&Webb」との繋がり。オリジナルのシルバーティーセットの導入
  • 片岡物産(株)を通して、「フォートナム&メイソン」をはじめとした英国紅茶パッカーの取り扱い及びメニューへの公式ロゴ掲載許可承認(日本において前例なし)
  • 英国総領事館との繋がり。レセプションへの招待や、様々なイベントへの紅茶・スコーンの提供。
  • ロイヤル・ドルトン・ドットウェル株式会社との繋がり。ミントン社製オリジナル食器の導入。
  • オックスフォード大学との繋がり。大学関連グッズの販売承認。
  • イギリスの紅茶を日本の水で再現したオリジナルブレンドの開発
  • 片岡物産(株)を通じて「フォートナム&メイソン」や「トワイニング」への英国研修旅行

と言った様々な取り組みを行いました。
「フォートナム&メイソン」などのブランドの紅茶自体を取り扱うところはあれど、正規輸入代理店を通して正式に取り扱い、メニューへの意匠ロゴの掲載許可を受けられたのは日本でロンドンティールームだけでしょう。
また、マッピン&ウェッブ社やロイヤル・ドルトン社と特別契約を結んで食器・茶器の導入、英国総領事館と紅茶を通じて文化交流をはかるなど、全てにおいてイギリスとの関係を裏付けた店作りを行いました。

こうして、日本において初めて本格的な「ブリティッシュスタイル」を導入できたのです。
行ってきた取り組みにおいて考え方の軸となったのが、荒木先生の書籍「紅茶技術講座」に書かれている数々のアドバイスでした。

テレビや雑誌などのメディアにも「正統派の本格的な英国紅茶が味わえる店」として取り上げられ、店の外まで長蛇の列になるほど多くのお客様にご来店頂き、百貨店からの出店依頼も多く寄せられました。
三越に出店した際には荒木先生にも一度だけご来店頂き、長い時間話に花が咲いたのを今でも覚えています。

▲当時の大丸心斎橋店と三越店。三越店は元貴賓室であった場所をティールームに改装。

その後も様々な英国関連のレセプションやイベントなどに参加した際に何度かお会いすることがありました。
当時のロンドン市長が来日された際には英国総領事館より「日本で唯一英国紅茶を提供する店」として紹介して頂いたり、イギリス人からも「日本でブリティッシュスタイルを展開しているのはロンドンティールームである」という評価を受けていることを聞いてくださったそうで、
「目標に向かって頑張ってるな!」
と声をかけて頂いた時、本当に嬉しく思いました。


▲英国王室からの招待状


▲ロンドン市長との記念撮影写真

何度もレセプションなどでお会いする度に、「英国紅茶専門店」の看板を名実共に背負って取り組んでいる姿勢を感じていただけていたのでしょう。
「専門店と看板に上げるからには店の中身に実体が伴っているべきだ」と説いた荒木先生に、 実現不可能とまでされた「通人向けサロン化展開の成功」と「日本で英国紅茶を定着」をさせたのがロンドンティールームであると認めてもらえたのが、私にとってこの上ない誇りになっており、店をやるための原動力ともなりました。

第七章:これからも、荒木先生の教えをもとに紅茶と向き合う

その後バブルがはじけるなど、日本人において消費に対する行動・価値観はずいぶんと変化していきました。
「高級サロンでゆっくりとお茶をする」スタイルは更に贅沢志向扱いとなっていくと同時に、セルフサービスのコーヒーショップが台頭し、昔ながらの落ち着いた喫茶店というのは街並みからどんどん姿を消していく時代に突入していきます。
そうなると、当店のように大箱の店舗・また複数店舗を抱えている店にとっては、時代の潮流に合わせてスタイルを変更するしか生き残る道はありません。
それにはまず「店の敷居を低くする」ことが必要不可欠でした。

こうして苦渋の決断の末、荒木先生が定義付けた「通人向けサロン化展開」の存続を志半ばであきらめ、「おひとり様でも気軽に入店できる店」にシフトしたのが今のロンドンティールームの形です。

普段は紅茶に馴染みの薄い人やコーヒー派の人にも紅茶を飲んでもらえるよう、気軽に店に立ち寄れて気軽に美味しい紅茶を飲めるスタイルを確立させることから始めました。
ロンドンティールームが現在多彩なフードメニューを取り揃えているのは、老若男女問わず様々な人が食べたいものを食べられる店作りにしたいと考えたからです。
また、紅茶専門店としては恐らく全国初である早朝7時からの「モーニング」営業を始めるなど、紅茶専門店としては少々規格外の取り組みも行ったのもそういった背景があります。

店の敷居を下げることにより、当店の売上は全盛期と比べて半減しました。
喫茶業単体だけで商売を続けられる時代ではなくなってしまったのです。
ただ、私の気持ちとしては「紅茶業界全体を盛り上げたい」「もっとたくさんの人に気軽に美味しい紅茶を飲んでもらいたい」という気持ちが強くありました。
そこで目を付けて始めたのがオンラインショップ事業です。
ロイヤルミルクティーのオリジナルブレンドをはじめとした紅茶の茶葉販売から、雑貨などのグッズやテーブルウェアの販売なども始めました。
複数の事業を同時に行うことで、価格は出来るだけ維持したまま接客を主としたサービスと美味しい紅茶の提供の継続が出来ています。
当店がイギリス製のアンティークティーポットなどを販売している理由もここにあります。

数々の路線変更の中でも唯一信念として曲げなかったのは「紅茶への向き合い方」です。
どれだけ敷居は下げても、紅茶の店として紅茶だけはしっかりと基礎に則って淹れる。
荒木先生の「紅茶はちゃんと淹れなさい」という教えを忠実に守り、店内での紅茶の提供の仕方はもちろん、後続の紅茶専門店への指導や紅茶教室、通販などを通してより多くの方にこの教えを広めています。
日本紅茶協会でずっと「紅茶のおいしい店」として認定頂き続けていることが、教えの実践を証明してくれています。

皆様に知って頂きたいのは、紅茶の技術や蘊蓄の原点がどこにあるかということ。
紅茶に関する本は世の中に多く出ていますが、紅茶専門店の定義の原点ともいえるのは荒木先生とそして斎藤禎先生です。

私の紅茶の核となっているのは、技能・技術は「ティーハウス・ムジカ」の堀江さん。
そして知識や理論は荒木安正先生の本によるものでした。
これからも荒木先生からいただいた教えをしっかりと受け継ぎ、おいしい紅茶を提供する店として日々邁進していくことがご恩に報いることと信じて励んで参ります。

荒木先生の安らかなお眠りを心よりお祈り申しあげます。

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