Tea Story 読めばきっと好きになる紅茶のお話

2026.05.04

【紅茶の産地②】インド|アッサムティーとダージリンティー

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▲インドのチャイ。イギリスの植民地時代、残ったわずかな茶葉で美味しい紅茶を飲むために発明された

紅茶の2大生産地といえば、スリランカとインド。それぞれ、『セイロンティー』と『アッサムティー』という一大ブランドを有しています。

アッサム産の茶葉が発見されるまで、紅茶葉は中国でしか採れないと考えられていました。しかし、とある事情からイギリスは自国で茶葉を生産する必要に駆られます。島国のイギリスでは作物が育ちにくいため、植民地であるインドでの栽培を試みました。

その折、インドで新種の茶葉が見つかるのですが……。この茶葉がアッサム種のチャノキと認められるまでには、多くの出来事がありました。

アッサム紅茶が見つかるまで

事の発端は1823年。当時、紅茶の原料となる「チャノキ」は中国でしか育たないと考えられていました。
イギリスは中国から茶葉を購入していたのですが、あまりの需要に代金となる銀が不足。

ならばと自国での生産を画策するのですが……。インドに中国種のチャノキを持ち込み、栽培を試すものの、結果は芳しくありません。

アッサム種を見つけた兄弟

▲ダージリンの茶畑と労働者。民族的な摩擦から、度々ストライキが起こる地域でもある

そんな折、イギリス人の植物研究家ロバート・ブルースにより、アッサム種のチャノキが発見されます。しかしながら、当時は諸々の理由でチャノキとは認められず……。せっかくの発見が空振りに終わったロバートは、失意のうちに亡くなります。

そんなロバートの志を受け継いだのは、弟のチャールズでした。チャールズはアッサム産茶葉を使った緑茶を開発し、ロンドンで高い評価を得ることに成功。発見から遅れること10数年、アッサム種のチャノキが正式に認められました。

 

コラム:日本産紅茶を駆逐したアッサム産茶葉
1870年代まで、実は日本でも紅茶の生産が活発に行われていたことをご存じでしょうか?
世界的にも一定の評価を受けていたのですが、アッサム産の紅茶には品質で敵わなかった様子。
1871年の貿易自由化から輸出が減り、撤退するまで追い込まれてしまいます。

その後のお話

▲ダージリン地方のトイ・トレイン。現在はディーゼル機関車が主流になったものの、昔ながらの蒸気機関車も走っている

インドでの紅茶生産が安定し、輸出が始まったのは1870年代です。茶園の開拓や輸送路の整備が難航したため、生産が始まってから20~30年ほど待つことになりました。

この間にも、多くの労働者が野生動物に襲われたり、伝染病にかかったりして犠牲になっています。

 

お茶に命を懸けたわけ

▲ティー・クリッパー(イメージ)。より多くの茶葉をいかに短期間で運ぶか競争が起こったことから、賭けの対象にもなった

ここまでして紅茶を生産したい理由は、どこにあるか。現代から見れば、たかが紅茶のために多くの資材と人員を使うなんて、考えられないことです。

しかし、当時と今では、紅茶の価値が違います。中国との貿易でしか手に入らない紅茶を、自分たちで作れるかもしれない。しかも高値で売れる……となれば、確実に現代より価値は高いでしょう。チャノキは多額の利益を生み出す、金の生る木だったのかもしれません。

おわりに

▲サルナート遺跡公園内・ダメーク・ストゥーパ仏塔。ブッダが初めて説法を行った場所。紅茶2大産地のスリランカともども、仏教の聖地とされている

スリランカと対をなす紅茶の名産地・インド。アッサムやダージリン、ニルギリなどの有名産地を要し、世界第2位の生産量を誇る紅茶大国です。

そんなインドが紅茶大国と呼ばれるまでの道のりは、決して平坦ではありませんでした。というよりも、山も谷も動物もいる土地を切り開いて平らにするところから始まった……と言った方が正確かもしれません。

当店のオリジナルブレンド紅茶にも使用している、インド産紅茶。飲むときに、少しだけその歴史に浸ってみてはいかがでしょうか?

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